長町 志穂 / 西濵 浩次 / 二見 恵美子
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「私の“ものづくり”過去・現在・未来」
どのような思い、どのようなルートで、人は、“ものづくりの世界”に入っていくのだろう?

西濵:今日は「私の“ものづくりの世界”過去・現在・未来」というテーマで話を進めていくんですが、よく顔を合わせているわりには、今までこういう話をしたことがなかったですよね。なんだか少し照れくさい気もしますが、興味も深々です(笑)。では長町さんからお願いします。どうして今の仕事を選んだのか? そして、現在の仕事について、話をしてください。

長町:子どもの頃からオシャレやデザインが好きだったこともあり、大学のデザイン学科に進学しました。そこで現代美術に魅了され、フィールドアート、ランドアートという分野にあこがれをもつようになったんですね。ただ、アーティストという職業では、食べていくことがむずかしいと悩んでいたところ、近いフィールドにライトアップという仕事があることを知りました。でもまだまだメジャーな分野ではなかったため、どうすればその仕事につけるのか見当もつかない。さて、どうしようかと思っていた矢先に、父親から松下電工(現:パナソニック)株式会社にそのような部署があると聞いたんですね。入社後は、照明器具のデザインを担当しました。空間的な発想で器具を作っていくことをとても意識していましたしそれが楽しかったですね。その後仕事の領域が徐々に拡大していき、独立し現在にいたります。

西濵:二見さんは?

二見:私は小さい頃から絵を描くことが好きで、絵かきになりたいと思っていたんですが、周囲の反対にあい断念。その後、デザインに興味をもつようになり、美術大学を出てデザイナーとして就職しました。働きだしてからは仕事漬けの毎日だったんですが、あるとき2週間の休暇をとってヨーロッパを旅したんですね。そのときに英国で2つのショックを受けました。ひとつは、自然環境や歴史的建造物を、100年にもわたって保護してきたナショナルトラストの活動。そしてもうひとつは、ランドスケープという考え方。ヨーロッパの街並みがこれほどまでにきれいなのは、ランドスケープという考え方をもとに、マテリアルから色まですべてが統一された街づくりがおこなわれているからだと知り、衝撃を受けました。すぐにその勉強がしたいと思い、26歳のときに会社を退職し、単身イギリスへ渡りました。夜は英語学校に通いながらランドスケープについて勉強し、6年で帰国。帰国後、独立したものの、もちろん最初は仕事などありません。もともとの本業であったインテリアデザインの仕事をしながら、10年ほどチャンスを待っていたところ、レトロ建築船場ビルの再生の話が来ました。でも屋上緑化には自責を投じましたよ。それがモデルケースとなり、公共施設などの仕事へと徐々にひろがっていきました。

西濵:ぼくは、子どもの頃からものづくりや絵を描くことが好きだった。中学2年生のときに大阪万博が開催されて父親に連れていってもらったんだけど、巨大なアメリカ館やソビエト館を見て、世の中にはこんな大きなものがあるのか!って衝撃を受けたんですよね。今まで自分の知っている一番大きな建物は、小学校と阪急百貨店くらいだったから(笑)。それが、本物の建築にはじめて触れた瞬間だったんです。そして、ぼくは決めたんですよ、建築家になろうと。建築家のなかでも珍しい例だと思うんだけど、中学2年生のときに建築家になろうと思ってから55歳の今まで、ぼくは一度も他の職業にあこがれたことがない。本当に自分に向いていたんだろうね。大学を出てからはゼネコンに入社、その後、アトリエ系の事務所を経て独立しました。

西濵 浩次
長町 志穂 / 西濵 浩次 / 二見 恵美子
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