GATUN! SPECIAL DISCUSSION(1/3) 建築業界の あのころ、このごろ、これから。 ”好き”は、なりたい自分を、未来へつなぐ。

建築家と建築史家、別々の学科の学生たち。
年の差があっても、やりたいことがちがっても、
みんなの建設への想いは熱く、いつまでも話が尽きることはありません。
過去から現在、そして未来へとつながるキーワードはやはり、
“好き”という言葉でした。

1970年の大阪万博は、
“カッコいいな! すごいな! こういうものを
つくりたいな!”の連続だった。

西濱さん 顔写真
何もない野原のような場所が、日本でいちばん近代的な街に変わっていくのを
目の当たりにして、まるで漫画の中にいるような気分でした。
西田さん 顔写真
自分の好きな仕事で、だれかのココロを温かくしたり、
ワクワクドキドキさせることができたら最高ですよね!

大阪万博を見たとたん、建築家になろうと決めた。

西濱:こんにちは。建築家の西濱です。今日は、学生のみなさんと、楽しくおしゃべりしたいなと思っています。緊張せず、ざっくばらんに話してくださいね。

学生三人:はい。よろしくお願いします!

倉方:建築の歴史を研究しています倉方です。今日は、三者三様の学科のみなさんの話が聞けるということで、楽しみにやってきました。よろしくお願いします。

西濱:まず学生のみなさんに、簡単な自己紹介をしていただきます。修成に入った経緯なんかもおしえてもらおうかな。

討論風景01

小川:建築学科一年の小川隼勢と言います。父が大工をやっていて、自分も建築関係の仕事に就きたいと思い、修成に入学しました。

西濱:うちの事務所に、インターンシップで来ていましたよね。

小川:はい。昨年の夏です。入学式で西濱先生がお話されているのを聞き、お世話になることを決めました。

倉方:前向きでいいですね。で、実際行ってみてどうでしたか?

小川:建築事務所での普段の仕事にふれさせていただき、とても勉強になりました。

西濱:優等生的に、いい答えですね。(笑)

小川:いや、本当に楽しく、勉強させていただきました。(笑)

西濱:では次、小林さんお願いします。

小林:はい。土木工学科一年の小林瑞季です。社会に役立ちたいと思い、建設業界を志したんですが、その頃は建築というジャンルしか知らなくて…。それをもっと深く調べていくうちに、土木というカテゴリーを知って、土木工学科がある修成に入ることを決めました。
それと…。

西濱:それと何ですか?

小林:土木というか、土木工学科という名前がカッコいい! という理由も大きかったです!(笑)

倉方:いいですね!土木の仕事に携わるみなさんが聞けば、たいへん喜びますよ!
で、実際に入学してみてどうでしたか?名前とのギャップとか?(笑)

小林:楽しいです!設計や計算などの教室の授業だけではなく、実習内容も幅広く、日々奥の深さを感じています。最初は、男子の多いクラスですから体力的にどうかな、と少し不安なところもあったんですが、いまではあれ? 何を不安がってたんだろう、って感じです。(笑)

倉方:それは頼もしい!女子だから気づくところも多くありますもんね。

西濱:西田さんはどうですか?

西田:はい。ガーデンデザイン学科一年の西田安々子です。私は、元々高校の時に建築学科に通っていたんですが、どちらかというと住宅よりも、外構の植栽や公園の設計をしたいと思い、大学の土木学科に入ったんです。でもその学科では、空間をつくることの勉強に重きを置き、本当にやりたい植栽に力を入れてないことがわかって、大学を退学して、それから修成に入りました。

西濱:思い切りましたね。何回生の時に?

西田:一回生の夏休み前くらいです。やっぱり高校の時に思った、公園の設計や遊具をつくりたいという想いが強かったんですね。で、勧められたのが、修成のガーデンデザイン学科でした。

倉方:だれが勧めてくれたんですか?

西田:高校の先生方や、大学の先生からも。

倉方:修成に入って、やっぱりここもちがう! ってことはなかったですか?(笑)

西田:それはなかったです!(笑)
逆にピッタリでした!(笑)

討論風景02

西濱:それは本当によかったですね。
では、ちょっと自分の話をしたいと思うんですが、僕が建築をめざしたきっかけは、1970年の大阪万博の少し前なんですね。そういう意味ではいまの大阪と似ているのかな。その頃、僕の父親が建築の仕事をやっていて、彼に付いていろんな工事現場に行くんですよね。そうすると、目の前に見たこともないような建物がいっぱい建っているんです。”カッコいいな!すごいな!こういうものつくりたいな!“と、単純にそう思ったんです。それがきっかけですね。

倉方:それは西濱さんが、おいくつの頃ですか?

西濱:中学二年生の頃です。

倉方:それは、早いですね! で、それからずっと…?

西濱:そうですね。それからはずっと建築をしたいと思って、他のものには憧れてない。ただ、ずっと勉強ばかりしていたかというと…。まぁー学校を卒業してからよく勉強しました。(笑)
とにかく、自分の考えたものが街に建っていくのはすばらしい、と思ったんですね。そしてそれは、長い間人々の生活と共にある。なんていい仕事なんだって。

倉方:そうですよね。僕はまだ万博の時は生まれてなかったんですが、やはり画期的なことだったんでしょうね。見たこともない建物が建つだけではなく、その構造や工法も新しいものばっかりだったはずですし、建物以外でも交通手段等のインフラや、いままで何もない野原のような場所を、土木や造園、建築が一緒になって新しい街自体をつくるという、現在の日本では考えられないような変化があった。

西濱:手塚治虫の漫画のような未来都市が、身近にできていく。そういう実感はありました。建築に大きな夢がありましたね。
僕には、そういう実体験があって、建築の仕事をめざしたんですが、倉方さんはなぜ、建築の歴史を勉強しようと思われたんですか?

討論風景03

倉方:僕の場合、建築の歴史家をめざして建築学科に入ったわけではないんです。高校の終わりまで何をしようかと考えていた時期に、ヨーロッパに行く機会があって、その街並みを見て歩いている時に、ふと感じたんですよね。

西濱:どんなことをですか?

倉方:ヨーロッパですから、容姿がちがうのは当たり前なんですけど、同じ人間が住んでいるのに、街のつくりも建物も全然ちがうんですよね。広場から放射線状に広がっている道とか、壁面とか装飾とか…。そんなことを考えていると、建築って奥が深いものだなと感じたんです。工学のように建てる技術や人間の心理にももちろん関係するし、100年、200年前の考え方や技術がいまもなおこの街に生きている。そう考えたら、建築って理系とか文系とか、過去とか未来とかを総合されているものなんじゃないかと。だから、もっと建築を知りたいと思って、建築学科に入りました。

西濱:設計とかつくる方には、興味はなかったんですか?

倉方:そうですね。小さい頃から手を動かすのがあまり得意じゃなくて。小学校でも図工がいちばん苦手でした(笑)。自分にとっては、好きな建築を知ることの入り口が歴史だったんですね。

PICK UP!

1970年
日本万国博覧会
「人類の進歩と調和」

日本万国博覧会

写真提供:吹田市

世界77カ国、国際機構、政庁、都市、企業による116の展示館が「人類の進歩と調和」をテーマに人類の理想を追求。6,400万人を超える入場者を記録し、高度経済成長を遂げた当時の日本を象徴する一大イベントとなった。アジア初にして、史上最大規模の万博。その熱気に誰もが高揚し、人々の記憶に刻まれた。閉会後の現在は、太陽の塔をシンボルとする「万博記念公園」として、博物館や日本庭園をはじめとした多彩な施設を設けられ、幅広い年代に愛され続けている。