Creator's File 株式会社ヨネダ設計社 米田雅樹の、これまでと これからと

株式会社ヨネダ設計社 米田雅樹の、これまでと これからとPhoto 浅田政志

コロナ禍をきっかけに家での時間をさらに重要視するお客さまが増えました。ただ、生活様式が変わっても本質を見極め、お客様にしっかりと提案できる設計をしたいと考えています。

株式会社ヨネダ設計社 米田雅樹 建築士

2006年、26歳で修成建設専門学校第2本科建築学科に入学。在学中は設計事務所で2年間アルバイトを続け、卒業後は工務店勤務を経て2013年に地元である三重県松阪市で一級建築士事務所ヨネダ設計舎を設立。代表作であり自宅兼事務所でもある「4+1HOUSE」は「2014JIA東海住宅建築賞」で審査員特別賞、「JIA環境建築賞」で優秀賞を受賞。現在は住宅、店舗、大型商業施設、宿泊施設など幅広い設計を手がけている。一級建築士。

これまでと
独創的な自宅兼事務所で注目を集め、建築士として飛躍。

職を転々としながらプロキックボクサーをめざしていた20代前半。しかし年齢的な限界を感じ、一生向き合っていける仕事を模索して見つけたのが建築の道です。26歳で、昼は修成から紹介してもらった設計事務所でアルバイト、夜は修成の夜間部で学ぶ生活を始め、修成では熱意ある先生方に指導していただきました。卒業後は工務店での勤務を経て、2013年に地元の三重県松阪市で独立。その後、「自宅」と「ヨネダ設計舎」の事務所を兼ね合わせた「4+1HOUSE」を建てました。アルバイト先だった設計事務所の所長に構造計算していただいた作品。中にアオダモを植えて自然とともに生活することにこだわった建物で、テレビ、新聞、書籍などさまざまなメディアに取り上げられ、建築コンテストで受賞したり、JIA環境建築賞で優秀賞をいただいたりと、たくさんの思い出をつくってくれています。

この「4+1HOUSE」は今年で築8年。3人の子どもたちとともに、アオダモの木も大きくなりました。前回の取材時に設計していた住宅も次々と竣工し、毎年建主さんからいただく年賀状に喜びの言葉が添えられていたりすると、とても感慨深いです。たくさんの話し合いを経てつくり上げた住宅はその人の分身であると私は考えていて、あるときお客様からもそのようなことを言っていただき、とてもうれしかったことを覚えています。
最近は、住宅の他にも大規模商業施設や博物館、宿泊施設、カフェなど、建築を使われる方と直接お会いしないような用途の仕事も増えてきました。住宅は建主と話し合いを重ねる中で個性や特殊性が表れるものですが、商業施設や宿泊施設など半公共的な建築の場合は、安全性や利便性についてこれまで以上に想像力を使っていかなければならないと感じています。

これからと
向上心を忘れず、仲間とともに建築に夢を見続けていきたい。

独立して8年となり実感しているのは、毎日一生懸命仕事に向き合えば、少しずつでも成長できるということ。考えてみれば、設計という仕事は初めての連続です。例えば、パン屋さんや歯科医など自分には経験がなくても、店舗や医院を設計しなければなりません。独立後間もない頃は、経験の少なさに劣等感や自信のなさを感じていましたが、今では経験の有無ではなく、いただいたご縁に対して十分検討し、挑み続けることがこの仕事の醍醐味だと思うようになりました。
建築はその時代の文化や社会状況を映すといわれており、今後は人口だけでなく職人の減少によって新築の建築物は少なくなるでしょう。しかし、人が生きるところには必ず建築があります。人々が生きる「今」において、人の気持ちに寄り添う場所をつくる−。そういった根本的な部分に目を向けること、そして技術者としてアイデアだけでなく建築の安全性を担保し、学び続けていくことがより大切になると思います。

私は建築設計を総合格闘技によく例えるのですが、この仕事は設計力、デザイン力、コミュニケーション能力、スケジュール管理力、トラブルへの対応力、そして体力と、多様なスキルが必要で、その分大変なことも多いです。でも、建築は決して設計図だけではできません。建主さん、職人さん、材料をつくる業者さんなど、多くの人の気持ちと時間を結集させるからこそ、みんなで喜びを分かち合えますし、そういう瞬間に大きなやりがいを感じられます。私の事務所も2018年に法人化し、今は5人で事務所を運営するようになりました。一人で設計していた頃に比べ、みんなで力を合わせるからこそできることがあります。これからもお客様はもちろん、自分たちも納得できるような建築をつくり、向上心を忘れず、建築に夢を見続けていきたいです。

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